
作家性を無視してまで しなければならないこと
月曜日は客さんとの打ち合わせだったから土曜日はホント大変だった。予定を消化しないと帰れないのはわかってたから、とにかく死に物狂いで図面を描いた。終わらなかったら徹夜すればいいんだけど僕にはどうしてもその日のうちに終わらせないといけない理由があった。
先日オープンした「ららぽーと」でナイトショーを観る!!
ってことで、なんとか仕事を終わらせてららぽーとに行った。
昼間は人でごった返してるはずのららぽーとだけど、さすがに日付が変わる頃になるとほとんど人がいない。同じように映画を観にきたと思われるお客さんはだいたい警備員の数と同じくらいだった。この感じって深夜の小学校に忍び込んだ時のような違和感と緊張感がある。警備員に促されるまま映画館に入ったんだけど、仕事が少し押したので観れる作品が『ステップアップ』か『口裂け女』しかなかった。当然『口裂け女』なんか観るわけないから『ステップアップ』を観た。 芸術学校のダンス科に通うお嬢様のノーラと車泥棒が生業で夜な夜なクラブに繰り出す不良のタイラー。かたや歴史と伝統に裏打ちされた形式的・様式的ともいえる

「におい」を視覚化する
登場人物の感情や苦悩、葛藤、もしくは、その置かれた状況を疑似体験できることが映画の魅力の一つかもしれない。それは巧みなカメラワークやリアルな音響設計などの視聴覚的効果によって可能になるわけだけど、映像表現ではどうしても伝えられないものの一つに「におい」がある。その映像表現のタブーに挑戦し作品として成り立たせしめたのは、ベン・ウィショーの高い演技力とトム・ティクヴァ監督のディテールに拘った演出力に他ならない。
究極の香水を追い求める驚異的な嗅覚を持つ天才調香師の愛と悲しみの物語。 『パフューム ~ある人殺しの物語~』

目に見えぬものこそ真実
と思わせる作品。
一見するとただのゴミなのに。

大きく出る
絵画、彫刻、演劇、舞踏、映画、音楽、写真、言論、文学・・・等々。人は何かを表現しようとするとき
数ある表現手法の中から自分の得意とするもの、もしくは適切と思われるものを選んで表現する。その中に「建築」も含めて考える人もいるかもしれない。
しかし、これ以外にも日本固有の、しかも世界に誇れる文化として根付いたすばらしい表現手法がある。手塚治虫によって確立されたその手法は、いまや世界各国で認められていて単に子供の娯楽と勘ぐっていては、その意識はかなり国際感覚と掛け離れているものと言わざるを得ず、今一度自国の文化について見つめなおしてみる必要があるかもしれない。
・・・・・・・・・。
これだけ大風呂敷を広げたからにはそれなりの作品を紹介しなければならないというプレッシャーを自らかけたわけだけど、その点に関しては十分な自信がある。
日常に起こる些細な出来事や心の葛藤を丁寧な絵でユーモラスに描く。作者は漫画家でもあるが優れたストーリーテラーだと思う。読後は心の中にあった色んなモヤモヤを引きずり出され晒されたような羞恥心と、それでいて同時に、

めざせ 一億総キャシャーン
▲キャシャーン(上)とキャシャーン変身キット(下)
とうとうこの季節がやってきた。もうこの際、日本の全国民がかからないと、なぜ自分がこんな目にあわなければならないのかと、不公平感ばかりが募るこの病。職場にも僕を含め2名の患者と今年から発症し、その事実を認めようとしない者が1名。最初は風邪だと思ってて、しばらくその症状が続いたときによぎる疑念。
しかしそのふと湧いた疑念を否定するための根拠を見つけようとし、疑惑を抱いたこと自体をもなかったことにしようとする、そんな病。
THAT'S 花粉SHOW。
この時期になるとチマタにはマスク姿の人が増殖する。花粉症の人も、おそらくそうでない人も、不快な思いをしているであろうこの季節だけど、「あの人たちはキャシャーンのコスプレをしているんだ」って思って改めて見てみると、少しはこの季節が楽しく思えてくる・・・わけないか。
『キャシャーン』といえば、今日離婚を発表した宇多田ヒカルのダンナが初監督をした映画で、周囲の不安の中、出来上がってみたら主題歌として採用されたヨメの新曲のPVになっていたと