

投げ捨てたフリをしていた「何か」
社会生活をしばらく続けていると、理想とかけ離れた、自分の望まない形で他者の評価を得るということがままある。そのような状況に直面したとき、自分ならどうするか。本意ではないにしろ、その状況を甘んじて受け入れ、他者の求めに応じていればこの先も一定の評価を得られ、それなりの立場を確立できるかもしれない。しかし捨て去った理想には未練が残る。理想を追い求めても、その努力が実を結ぶとは限らないが納得した人生を送ることはできるかもしれない。これは生き様の問題だ。 刀を持たない侍と言うのは、平和への願いを込めた武器を持たない国家のメタファーであるか、若しくはモノへの執着から未練や本質を断ち切れない現代人の性をシニカルに描いたものなんだろうけど、それを映画としてどうまとめたのかが気になるので、『さや侍』を観に行ってきた。 結論から言えば、「映画としては破綻しているが、好きな作品」ということになる。映画という表現手法が発明されて久しいが、そんな中、今まで誰もやっていないことをやると宣言し松本人志は監督デビューした。誰もが無謀な挑戦だと思いつつも、いつか何かやってくれる