

俺はお殿さま
っていう喜劇を昨日、新宿コマ劇場で見てきた。本格的な舞台を見るのは初めて。記憶を無くしてしまったお殿さまが、町の人々と生活を共にすることで、その生活がどんなに苦しいものなのかを理解していく・・・といったあらすじ。ん~、まさに格差社会。
座長はモノマネでおなじみのコロッケ。共演は赤木春恵、熊谷真実、川崎麻世などなど。そして私の知人。ギャランティーの発生する初の舞台らしく感激もヒトシオ。といいたいところだけど、どこにいるのかよくわかりませんでした。中ランクの席だったので。
コロッケさんは稽古中に肘を骨折してしまって腕を吊りながらの舞台だったんだけど、内容を一切変えることなく、また怪我していることを忘れてしまうくらい堂々と演じていた。なんと4時間も。プロ根性に感嘆しきり。
後半のモノマネショーもさすが本職と思わせる多芸ぶり。大爆笑でした。
今月24日までの公演なので興味のある方はぜひ足を運んでみてください。コロッケさんの人柄が伝わってくるとてもあったかい舞台でした。


やっぱり有罪
日本で最もありがたくない賞でお馴染みの「日本アカデミー賞」が発表された。おおかたの予想通り
『フラガール』が最優秀作品賞を受賞したけど、実はこれって日本アカデミーの賞歴から考えると、めずらしいことが起こっている。
誰が読んでるかわかんないから詳しいことは割愛するけど、簡単に言うと過去の受賞作品の製作会社を見てみると大手製作会社3社の名前がきれいに3等分されているのだ。1年おきだったり2年おきだったり、その順番はまちまちだけど統計するとみごとに3等分になる。各社がこの「持ち回りの年」に大作の公開時期をあわせるので、少なくともこの3社の間では違和感なく受賞作が決まる。
この事実から何を想像するかは個人の自由だけど、おそらくほとんどの人が想像した理由と同じ理由で、この賞事態に客観性がなく、権威も信憑性もないというのは映画関係者かもしくは内情に詳しい人にとっては意外と知られていることだと思う。
アカデミー賞がブルーリボン賞やキネマ旬報、毎日映画コンクールよりも格下だといわれているのはそういった理由からだ。2005年のオダギリジョーの受賞コメ


最後の1行で涙が溢れる
そんな紹介文を目にして読み出した小説。主人公はごく普通の若い男女なので誰にでも共感できる万人向けの作品。
事件に巻き込まれ世界初の脳移植手術を受けた純一。しかし術後徐々に人格が変わっていく自分を
止めることができず自己崩壊の恐怖と不安に駆られる。恋人を愛せなくなり好きな絵も描けなくなる。
その恐怖と不安を鬼気迫る臨場感で描く。ついに純一はドナーを突き止めるのだが・・・。
そこには移植チームが極秘にしなければならない真相があった。自分とは何なのか。自分が自分ではなくなるとはどういうことなのか。自分を自分たらしめているものっていったい何なんだろうか。
『容疑者Xの献身』で直木賞を受賞した東野圭吾の代表作。セカチューなんかで喜んでいるような人は読まない方がいい。
ちなみに。笑いのネタにもならないヒドイ出来なので映画版のほうは決して観ないように。これは邦画界に蔓延している「優良コンテンツの食い潰し」の典型的な例といえる。


世界最速のおじいちゃん
バイクをいじっているときの彼はおもちゃを買い与えられた子供のように無邪気だ。舞台は60年代、世界最速記録を目指す“スピード・ウィーク”。バイクは1920年代のインディアン・スカウト。40年ものの骨董品。鉄くずを溶かして作ったピストンに、肉切り包丁で削ったタイヤ。
60を過ぎたバート・マンローは25年越しの夢であるスピード・ウィークに出場する為に、この相棒とともに全財産を持って渡米する。泊まるところもバイクを会場に運ぶ為のトレーラーも全てが現地調達。しかし、心配するそぶりは見せず常にマイペース。数々の非常識な行動も、その無邪気な人柄で許されてしまうようなタイプだから、いろんな人が彼に手を貸すんだけど、考えられないようなトラブルの連続。
これが実話だっていうんだからスゴイ。果たしてバートは世界最速記録を樹立することができるのか。そもそも会場にたどり着くことができるのか。
「夢を追わない人間は野菜と同じだ」 by バート・マンロー
こんな歳のとり方をしたい。 『世界最速のインディアン』